海外生活の話

ギャルに憧れていた私がアメリカに行くことを決めた理由|学生時代をアメリカで過ごした話Vol.1

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あにらむ

こんにちは、あにらむ(@heyannie_615)です。
私は学生生活およそ4年間をアメリカで過ごしました。

私は日本生まれの日本育ち、生粋の日本人です。

このお話は、15年間英語とは無縁の生活を送ってきた一人の女子学生が、突然アメリカに行くことになり、毎日カルチャーショックを受けながらも奮闘する日々をお伝えするシリーズです!

今回は、そんな私がどうしてアメリカに行くことを決意したのか?ということをご紹介します。

ギャルに憧れていたあの頃・・・

時は数十年前、アメリカの高校に通っていた私は
当時ギャルに憧れていました
あにらむ

ギャル雑誌の王者であるEGGを愛読し、サーフ系ブランドのファッションを着ていました。

これ当時の流行りだったよね!?と同世代の友人に聞いても、全く流行っていなかったそう・・・。どうやら私がいた地域だけのようです・・・。

ギャル系の雑誌を愛読し、サーフ系ブランドをよく着ていました
あにらむ

修学旅行で大都会東京に行った時は渋谷の109に行きました。
意気揚々とサーフ系ブランドにお店に入るものの、お金がない私はベルトだけを購入して帰りました・・・。

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そんな私が突然アメリカに行くことに!?

そんな学生が、アメリカでいろいろな洗礼を受ける話です
あにらむ

いや、英語話せないしムリっしょ…。

日本で生まれ、日本で育った私。英語は学校の授業ですこ〜し習うくらい。

それだけじゃ英語なんかしゃべれるわけがありません。

なのでわたしは・・・。

アメリカなんて絶対に行きたくなかった!

私は絶対に行かないと宣言
あにらむ

アメリカに行くことに対して、めちゃくちゃ反対しました!!!

どうして行きたくないの?と父母
兄に同調を求める私
しかし行きたいと言い張る兄

子どもふたりが反対すれば両親も困るはずなので(笑)、なんとか兄を味方につけたかったのですが、兄は行く気満々でした

これで3対1・・・完全に私は劣勢になりました。

あにらむ

わ、私にだって行きたくない理由があるんだ!

田舎で育ち、英語ができない私

前述した通り、日本に生まれて日本で育って、当たり前のように日本で暮らしてきたので、いまさら海外に行って人生イチからフルリセットするようなギャンブルには乗ることができませんでした。
兄、フットワーク軽すぎないか?

あと個人的な体感では当時はまだ海外に行くことが珍しいというか、留学も盛んじゃないし、海外行きのチケットが今よりすごく高かった!!旅行ですら海外に行ったことない田舎育ちなのに、海外に移り住むなんて夢のまた夢だった・・・!!

まとめると、

  1. すでに物心がついてしまっている
  2. 英語への苦手意識がある
  3. 慣れ親しんだ環境を離れることの抵抗感がある
  4. 海外に行くことが珍しかったので、海外=未知の世界という意識があった

ことが、アメリカに行く勇気を大きく拒みました。

あにらむ

幼すぎて記憶ないくらいに行っていたらこんなにごねることもなかっただろうに、親も子どももストレスフルなやりとりが続きました。

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しかし、子どもながら思うことも・・・

父は昔から仕事で忙しい人だった
父はこのアメリカ行きの前にも、しょっちゅうアメリカやその他海外に出張に行っていました

帰りは22時でだいぶ早い方、ほとんど日付が変わったころに帰ってくる印象でした。

朝も私が起きる頃には会社に行っていたので、家で顔を合わせる機会はほとんどありませんでした。家にいると、「あ、いるんだ」と思うくらい・・・!

最近父に話を聞いたら、久々に早く帰っても家族全員バラエティ番組見ててゲラゲラしてるから寂しかったと・・・!笑

あにらむ

そんなふうに思っていたんだな〜〜〜と、大人になって申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
だって当時のバラエティ番組面白かったもん・・・。

どうしてアメリカに行く決意をした?

私、ついに行くことを決意
散々ごねたけど、人一倍準備した

散々行くのをしぶったけど、行くってなったら準備はかかせないよね。
アメリカとか未知すぎて、とにかく自分の身につけているものを買い足すことをしていました。だって絶対サーフ系とかないよね!!アメリカに!!笑

あにらむ

漫画では速攻アメリカ行くの決めてるように見えますが、父親に打診されてから、かれこれ2ヶ月くらい行くことをしぶっていました

そんな私がアメリカに行くことを決意したのは、以下の要素が大きかったと思います。

理由①:家族のつながりを大切にしようと思ったから

当時学生だった私は、学校から帰ってきたらすぐ友達を遊びに行ったり、ゲームをしたりパソコン・ガラケーでメールをしたりと、家族と会話することがほとんどない状態でした。

前述のした通り父親は仕事で忙しく、兄とも小さいころは一緒にゲームをしていたりしましたが、成長するとともに共通の話題がなくなり会話が減りました。

唯一母親とはよく会話していましたが、朝早く夜遅い父親のサポートでぐったりしている様子をよく見ていました。

あにらむ

一緒に暮らしてるのに、家族が何を考えているかよく分からないな…。

もちろん学生の頃の友人も大切だけど、家族はもっと長い時間一緒に過ごすので、環境を変えればもう少し仲良くなれるかな?と思いました

理由②:数週間の滞在で、現地現物ができた

アメリカに行く前に、お試しで現地に数週間滞在をさせてもらえました。

あにらむ

その間、USJやディズニーランドなど楽しいところに連れて行ってもらえたので渋っていたの作戦にまんまとはまったような気がしていますが(笑)

でもそこで、日本でしぶっていた時よりもアメリカがどんなところか、自分の肌で感じられたのは大きかったです。

理由①で書いたことも、一部の都市を除いてアメリカは車文化が非常に強いので、どこに行くのも家族と一緒になる、ということに気が付きました(日本みたいに一人で自転車を乗って出かけるのも安全の観点から難しそうでした)。

なので、もっと家族で過ごせる時間が増えるかな?と思ったのです。(実際に住んだ後は、これがだんだん辛くなることもありましたが笑)

もちろん数週間の滞在ではほぼ観光なので、「その国の良いところしか見れなかった」というのは当時の私にはまだ気づけませんでしたが(笑)、現地現物するのは大事だと思いました。

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【あとがき】大人になってから思うこと

何より父も母も海外に住んだ経験がないから、「海外に行くとこんないいことがある!」とか、具体的に言えなかったのが大変だっただろうな・・・と思います。日本よりもぐっと治安悪くなるしね・・・。

しかし、当時の私と会話できるなら、

あにらむ

絶対行け!!!!こんなボーナスチャンス二度と来ないぞ!!!

と言います。笑 

だって海外に行くことに価値を見出して、留学生として高い学費を払ってでも行く人がいるのに。会社の費用で超格安で移り住めるのに、と・・・!

今は行ってよかった!!と思えるからこそのアドバイスかもしれませんが、本当に充実した4年間でした。
そして現地でしか味わえない経験、旅行ではなく数年単位の長期間滞在しないと分からなかったであろう経験がたくさんできたと思います。
留学や駐在をすることの最大のメリットはそこだと思っています。

あにらむ

私が4年間かけて経験したアメリカ生活の話を、おもしろおかしく紹介していけたらいいなと思っています。

アメリカを離れ約10年・・・備忘録として記録すると同時に、この経験が少しでも誰かの役に立てると幸いです。

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